キミが死んだ日はハレ

 

 

あの日、キミは姿を消しました。

あの世界から姿を消しました。

大好きだったあの笑顔も、

癖のあるダンスも、

伸びやかな歌声も、

全部全部。

 

雑誌にいない。

少クラにもいない。

クリエの出演者にも名前がない。

そしてTravis Japanの集合写真からも、

個人写真も名前もなくなりました。

 

絶望だった。

そこからはTravis Japanを見るたびに

「どうしてここにいないんだろう」

と思う日々で、

トラジャが活動すればするほど

その想いは強くなってしまった。

 

そんな中、百名ヒロキという舞台俳優が誕生しました。

彼はブログを始め、

「ボクが死んだ日はハレ」

という舞台に出るとお知らせしてくれました。

私は当時留学中で、どうしても観にいきたくて、

一時帰国の日程を早めたいと何回も親に頼み込みました。

40万掛かると言われ諦めました。

 

たった100席の会場。

チケットは取れない人がほとんどで、

一部は高値で転売されてヒロキ含め

関係者やファンの中で問題になりました。

そんな中始まった百名ヒロキのデビュー作。

 

幕が開けば、そこにはかつて見ていた姿。

探し求めていた人が舞台に立っていました。

仲良かった仲間や元メンバーがその舞台にかけつけ、

向日葵の花束をプレゼントしていました。

ああ、現実なんだなあって思った。

でも自分の目で確かめないとどうしても信じられなかった。

 

2018年1月4日。

24歳の誕生日イベント。

ああ聞いたことあるこの声。

詩の朗読からスタートするなんて、

ポエマーらしいなとか思ってたら。

暗転の中音楽が流れて、

照明が当たったと思ったら

そこには大好きでずっと見てきた人が、

知らない姿になって幸せそうに歌ってた。

“何度でもボクを思い出していいから

生きて 貴方の中に生かしておいて”って。

拡輝のことを思い出して、

何回も生き返らせては現実を見た日々。

それでもいいんだよと言われているようで、

気付けば泣いていた。

 

この日のヒロキの表情や声、

そして自分の感情って今でも忘れてはいない。

 

 

1年半が経ってついにこの舞台を観ることが出来た。

だから自分の中でこの作品と

「ボクが死んだ日はハレ」という曲は

観たことがない癖に、いろんな思いがあった。

この曲が出てくるのが1番の山場で、

ひかるとお母さんの大事なシーン。

よく分からない感情が湧き上がって

とにかく泣くことしか出来なかった。

それと同時にどこかスッキリして、

浄化された自分がいた。

息子の死を受け入れられない歌手のお話で、

どこか自分の想いと重ねてしまう部分が

あったんだと思う。多分。

 

正直もう「そんなことあったなあ」って

1つの思い出になっていたことだし、

みんなが選んだ選択に間違いなんてないし、

何も思ってなかったんだけど。

心の奥にあった感情を久々に見つけて、

自分で上手く整理出来たみたい。

 

私はあの日もこの日も、

ハレの日にするよ。